モリジ君の新説御伽WORLD

中学生

仕事が忙しくて暇が無い。
ああ暇が無い。

そんな感じの毎日で、
きりきりまいで
目の前真っ白で

でも
もちょっとがんばれば何てこと無い事なんだけどね。
少なくとも現状にゃ、満足できてないわけだし。

楽しい事をやろうよ。
面白い事やろうよ。
それで辛いことになっても
楽しい事がその後おきたら、
そのための試練だと思ってさ。

今が中途半端すぎるんだ。

大人なのに子供みたいで。
子供だったのに大人みたいで。

少なくとも、このままじゃ

何も変わってくれないね。
  1. 2009/11/04(水) 19:25:18|
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帰還

二ヶ月ほど東京に行ってました。
満員電車が初体験でした。
夏コミも行ってきました。
すし詰めとはまさにこのこと。
いや、戦場。
とんでもない。
東京とんでもない。

でも意外と肌には合いそうだった。
そういう土地すきなのかなぁ。
カオスな町が。

いえ、素敵でした。
建物でかいし。
半端ない。

未来の道具が多々あり。
過去の文化も見え隠れ。
素敵な町でした。

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  1. 2009/10/06(火) 01:31:00|
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自転車のようだ

10年ぶりくらいに裁縫をした!
ズボンが破けちゃったので。

正直完全にやり方忘れてた。
と思ってた。
縫い針に糸を通したらポンと思い出す
指に糸くるくる回して団子を作るんだった!と

で、縫い始める
ズボンなので頑丈に縫わないといけない
なので返し縫いをしようとおもった。
確かこんなんだったろと適当に進める。
途中で気がつく。
これは半返し縫いだと
そんなわけで途中から本返し縫いに移行してしまう。

なんだかんだで目立たないように縫えたのでよし。と思った。

裁縫もなかなか楽しいもんだ。
今度何か縫ってみようかしら。

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  1. 2009/05/13(水) 22:12:24|
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ユダヤが優れた人である理由

簡単に言うとユダヤ教とはユダヤ人が救われる宗教だ。
キリスト教のように信ずるものは平等に救われるものとは違う。

だからこそユダヤ人はその他の上に立っていると考える。
ゆえに自分が優れていると考え、優れた人になろうとし、優れた人になることが多いのだろう。
すべての人間が人である以上、大きな違いは存在しない。

だが、自分は優れたものであるという意識を持っていれば
劣等感が発現しにくくなり、自信が付きだす。

つまり、自分が優れたものであると信じるからこそ
そのために努力でき、結果優れた人になりやすいのだ。

これがユダヤが優れた人である理由である。

逆に言えば優れた人であるという意識さえあれば
誰だって優れることが可能だということだ。 [ユダヤが優れた人である理由]の続きを読む

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  1. 2009/04/11(土) 17:00:28|
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人生の乱数調節

乱数とはランダムな数字のことで、よくゲームなどに使われてたりする。
乱数調整とはそのランダム性を調節する作業の事だ。
乱数は完全なランダムではなく事象の変化に対してランダム性を得ている。

つまりはルーレットのようなものを止めるタイミングで結果が変わるようなものか。


さて、では人生の乱数調整とはどのような意味かというと
人生にもランダム性が存在しているような気がする。
サイコロの出目等ではなく、時間による感情の変化や行動の変化のことだ。

それらには一つ一つ紐解いていけば理由が存在する。
まるでプログラム上の乱数の様にだ。


話は少し戻ってゲームに乱数が使われている件だが、ゲームの高速クリアにおいていつでもクイックセーブが可能なエミュレータを使う例がある。
その機能を利用することで確立を要する場面でセーブしておきよい結果が出るまでロードを繰り返すという方法が可能だ。

しかし乱数の場合ただロードを繰り返しても同じ結果になる場合がある。
その為結果を変えるために乱数調整が必要になってくる。
少し時間を置いたり、周りをうろうろしたり、別のイベントを起こしたりするのだ。
こうすることで乱数は変化し結果が初めて変わる。


ただこれはゲームの話だ。これから人生の話に戻るが、人生はセーブはもちろんロードもできない。
人生は今のところタイムマシンのないオートセーブノーロードの世界で一度きりなのだ。
だからこそ行動にはいい結果がほしい。
出来るだけ失敗は避けたい。
そこで乱数調節を使うのだ。

もともと動物は勘が働く。
人の場合でも同じである。
いやな予感とは正にそれだろう。
勘の働く人は事前に乱数結果を無意識に感じ取っているのだろう。
前に言ったようにこの世界のランダム性は紐解いていけば理由がある。
故に僅かな変化を経験と本能で感じ取ることができるのだ。

そして僕にはそれがない。
結果が分からない。
勘なんて物を今まで信じて来れない程鈍く論理的で非オカルトなのだ。
科学こそ真理にもっとも近くいかなる現象も科学で解決できると思っている人間なのだ。
そんな人間の脳に勘なんて機能や本能を保持する理由はなく、結局退化してしまったようだ。

だからこそ、意図的に僕は乱数調節をしなければならない。
意味のない様な行動が乱数を乱してよい結果を導くのだ。

しかして人生は一方通行だ。
勘はない。
未来なんて見えやしない。
信じるものなんて役に立たないかもしれない。
だけど僕は乱数調節に成功している。

なぜか。
理由は反外的な方法による勘へのアクセスだ。
先ほど僕の勘は退化したと言ったが無くなった訳ではない。
使わないから圧縮して脳の奥に保管されているだけなのだ。
何時か使うかもしれない機能は圧縮されて保管されている。
人間の脳が三割程度しか使われていない理由、遺伝子の93%が未活動の理由は、今必要のないが過去に活躍した機能なのだそうだ。

それを使う手段を、勘を使う手段を編み出した。

勿論うまくいっているのは結果論であり、この理論も後付けの仮説だし、どちらかと言えばオカルトなのかもしれない。

要は行動を起こすときにコインを回しその行動のイエス、ノーを決定するだけだ。

恐らく脳の勘では答が出ているであろう結果を指先を通じてコインの出目に影響を与えているのだろう。
或いは超能力か運命か
オカルトもいいところである。

一度でもその方法で失敗したら止めてやろうと思う。
そしてそんな妄想は止めてしまえと、二度と不可思議に声を貸すなと自分を叩くだろう。

なのに一度たりともコインの結果に従って悪い選択をしたことはない。

ちっょと僕は自分が怖くなってきたので
無理やり納得のいく理論を書いた次第である。

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  1. 2009/03/26(木) 00:03:15|
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